タイトルに地名が入っている曲をたまに見かけますが、肝心の歌詞内の風景描写が稚拙で「わざわざ具体的な地名を出す意味あるのか?」と思うことが多く、いつもモヤモヤしています。
つい最近ですと●●●(とある有名アーティスト)さんが「明大前」という曲を出してましたが、歌詞内の風景描写が「踏切がある」「踏切の向こうにアパートがある」くらいで、どこでもええやんと思うのです。こういうローカルな地名が出てくる場合は大体作者の個人的な思い入れがあって採用したとは思うんですが、だったら余計に、その場所をその人かららだけ見える固有の景色として描写してほしくて、「踏切がある」「踏切の向こうにアパートがある」だけの描写は不十分すぎて、料理に例えれば、香り、旨味、深み、具がないラーメンのような気がするのです。
例えば「明大前」の歌詞だけを見て「この曲のタイトルになっている地名を当ててください」と言われたときに、候補となる街が何百・何千と出てきてしまう。つまり“明大前である必然性”が作者の中にしかなく、リスナーには無いですね。ある意味で置いてけぼりということです。
作詞するときに大事なのは、自分以外がスルーしていた事に自分ならではの価値を見出して、それを提示することだと思っているのですが、この「明大前」に関してはその真逆。明大という地名の持つイメージ・各々が抱くイメージに乗っかってるだけで、「明大」という場所に対する、そのアーティスト独自の眼差しを提供していない気がするのです。
椎名林檎「歌舞伎町の女王」はその土地特有のカルチャーに焦点が置かれているので、地名を出す意味があるのですが、それは結構少数派です。この歌詞も独自の眼差しを提供しているとは到底言えないのですが、少なくとも、その地名を出す必然性はあります。「明大前」にはそれすらない。
恐ろしいのは、この「明大前」は日本の音楽の中では、だいぶ良くできたマシな歌詞だということです。日本の音楽界にはこれより全然酷い「個性が一切ない」「そもそも成立していない」みたいな歌詞が氾濫しています。別にありきたりな景色を描写するなというわけではありません。してもいいと思います。ただ、そのありきたりな描写に固有の地名を付け加えることで、凡庸な風景描写なのを隠すために固有の地名のイメージを利用して少しでも深みを出すための使われ方が多く、そのテクニックが非常に稚拙で、曲の良さを台無しにしていると思うのです。嫌な言い方をすれば「地名をファッション感覚で軽い気持ちで使っている」ということです。
偉そうに言っていますが、僕も歌詞における地名について深く考えるようになったのはここ4~5年くらいです。現在、僕は地名を出さないで済むなら出したくなくて、「アニメーションウォッチャーズ」という曲では、「秋葉原」という文字を出さないように「電脳都市」と言い換えていますし、これだとアルバム全体のテーマである「1990年代」という意味合いも付け加えられます(オタクの街になる前の秋葉原)。というか単純に曲名に「アニメ」が入ってて、歌詞に「秋葉原」が入っていたらつまらなすぎますよね。
逆に地名を出さざるを得ないときにしょうがなく出すこともあって、代表的なのは「エグすぎる」の「新宿」です。「俺は新宿でお笑いを観る」はもともと「俺は地下インディーズお笑いを観る」ということを言いたいのですが、「地下インディーズお笑い」というワードは強すぎる&長すぎて、ほかのパートにまで影響を及ぼしてしまうので使うのは避けたかったのです。そこで東京でもっとも地下ライブが行われている地帯(新宿の歌舞伎町周辺)の意味合いで「新宿」というワードを出しています。ここははっきり地名を指定しないと全体に響きます。渋谷だと∞ホールのイメージ、浅草だと演芸のイメージになってしまう。地下お笑いだと「千川」「中野」あたりをイメージする人もいるかと思いますが、それだと1つの劇場のイメージが強すぎるので、そこらへんのワードを出すと情景が「街の一帯」ではなく「劇場」になってしまうんですね。
「不思議な都市計画」という曲だと、歌詞タイトルや歌詞に地名は出てきませんが、深く読めば、どこの街を差してるのかの候補は恐らく1つ(仮にそれ以上あっても3つくらい?)に絞れます。
ここの景色が好きなんだ
俺の落ちた大学が見えるけど…
山積みの道路は国の宝物
でも俺だってこの景色を愛してたい
この駅に沈みたい
あの坂を見上げたい
焦げた豆腐みたいなガードレールすら大切なんだ
曲がり角にリボンを付けて
君に贈りたいと思う
都市が変わりだす
何も待たずに
潰れた飯屋の
前で踊った
これを見てどこのことを歌っているのか分かるでしょうか。
「俺の落ちた大学が見えるけど」
「山積みの道路は国の宝物」
「この駅に沈みたい あの坂を見上げたい」
「都市が変わりだす」
…あたりがポイントで、正解は渋谷です。
「この駅に沈みたい あの坂を見上げたい」が一番重要なポイントです。駅が沈んでいる。これは要するに谷の底にあるということです。「渋谷」は名前に「谷」が入っているように、東側には宮益坂、西側には道玄坂があって、駅の部分が谷底になっています。そういう場所にある駅は都内にいくつかあるのですが「大学」「都市」というワードで学校がないところや田舎は消去でき、さらに「山積みの道路は国の宝物」という部分で国が先導して街を工事していて現場には道路をはじめとする“街の部品””が山積みにされている風景、ほぼ渋谷一択になるわけです。
正直、この歌詞から渋谷を当ててほしいというわけでもなく、そこまで深く分析してくれとも思いませんが、深く分析しようと思えばできる深みはあった方が魅力的な歌詞だとは思います(適当に言葉を並べていることが魅力になっているケースは除く)。
冒頭で挙げた「明大前」はタイトルをどの地名にしても成立します(作者の事情を知らないリスナーにとっては)。これを絵に例えると「明大前」というタイトルの絵なのに、その地名を出す意味がまったくないコンビニの壁とか松屋の看板が描かれているのに近い気がします。「固有の地名をタイトルにしているのに、そこ特有の景色が描かれていない」という意図が込められてるのであればいいというか、むしろ皮肉として面白いと思うのですが、「明大前」に関しては別にそういう曲ではなさそうなんですよね。それが良くないとハッキリ断言することは正直できないのですが、言葉の表現ってそんなに適当でいいんだっけ……と不思議な気分になり、それを紛らわすために激辛料理を食べたくなります。私のオススメの激辛料理は農心のスパイシーノグボナーラ。相当辛いです。ムシャクシャしたときはこれを食べて一瞬でも全てを忘れてみては。