2023年3月7日火曜日

R-1を責めないで(伊武雅刀「子供達を責めないで」に乗せて)

数年前から感じていたことなのだが、一部のお笑いファンの間に「R-1を叩いておけば・イジっておけばOK」みたいな空気が流れているような気がする。これは「○○を面白いと言っていればOK」みたいな空気を裏返したものだといえる。自分で「面白い・面白くない」を判断できない人が増えて、その人たちは“お笑いシーン”の雰囲気に流されてしまう。別にそれでも構わない。各々が好き勝手に楽しめばいいのである。

ただ、それが批判の対象になると話は変わってくる。「みんなが○○を面白いと言ってるから、自分も○○を面白いと思う」はまだいいが、「みんなが○○を叩いているから、自分も○○を叩こうと思う」は実害が生じるので、なかなかよくない。

「R-1」運営局の不手際をみんなでイジる“ノリ”のようなものができている。この構造はイジメとほぼ同じだが、相手が個人ではないから、イジメだと気付かない人は多い。「R-1」が何かミスをするたびに、イジメ側に回って安心しようとするキョロ充たちが「そういうとこだぞ」と責める。「R-1」が新たな不手際を起こしたときに、なんかうれしそうなのである。

「R-1」に限らず、一部のお笑い好きは「お笑いを分かってない奴」をイジめようとする癖がある。一部のお笑い好きに流れているそういう空気がどうもキツく、目に入れたくないものなため、ますますお笑いのネタだけを見ていたくなる。お笑いのネタを見ているときだけ、目の前にある「面白いこと」に集中できる。

ただ「ランジャタイが急に人気が出た」みたいな事件は、やっぱりエキサイティングで、それを含めてお笑いは面白い。シーン全体を俯瞰で見渡すことで、より芸人のネタやトークを味わえる。決して、お笑いファンに同族嫌悪を剥き出しにしたいわけではない。とにかく「イジメはやめてくれ」と願うばかりである。

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