01.田舎の学校
前作「DOITORA」の収録曲「夜風の槍」は軍歌をイメージしてメロディを作ったのですが、あるとき、軍歌ではなく自分が小学生のときに歌っていた校歌に無意識に影響を受けていることに気付きまして、「校歌の影響を受けて作った曲って斬新かも」となんだかテンションが上がりました。6~12歳まで定期的に同じ歌を(記憶に強く残りそうなタイミングで)歌わせるのは洗脳や虐待に近いですが、そうして染み着いた感覚を自分なりの楽曲に昇華できたことで、歌わされていた被害者から脱却できたような気がしたのです。
日本の音楽シーンは「過去のおしゃれでカッコいい音楽をいかに咀嚼できるか」合戦の様相を呈しており、80年代のブラックミュージックやシティポップ、90~00年代のクラブミュージックと現行の音楽シーンの流行りを融合させたものばかりで、画一化されています。それにモヤモヤしていたときに先述の「校歌に影響受けていた事件」が起こったため、何かしらの因果を感じ、次のアルバムでこの方向性を突き詰めていくべきかもと決意したのです。
“引用アピール合戦”における取捨選択で捨てられてきたもの、「これを引用してもどうにもならない」と判断されたものをすべて回収してやろうというのが今回のアルバムの大きなコンセプトです。「貰い手が見つからなかった子」を俺がまとめて連れていき、ヤバい軍団を作り出す。図らずとも現行の音楽シーンに一石を投じてしまうHASAMI group。さすがです。
みんなが成長する過程で捨てていった子というと、具体的には「学校で何度も歌わされてきた校歌」「幼少期に聴かされた童謡」「幼少期に何度も聞いたCMソング」「めざましテレビやおはスタで毎日流れていた、あまりよくないJ-POP」「何度もやったゲームのBGM」「遠足で行った科学館で流れていたやたら壮大な音楽」「思春期に興味本位で聴いていたデスメタル」などさまざまです。これらは自分の奥深くに血として流れる強烈な音楽の原体験である一方、イケてる音楽を作ろうとすればするほど後ろめたいものでもあるんですね。しかし、これらを完璧な形で咀嚼して、どこにもない“ほぼオリジナル”にまで昇華できたら、自分はNEXT STAGEに辿り着けるんじゃないかと。この試みは正直かなり苦労しましたが、成功したのではないかと思っています。…という流れで、今回のアルバムは「現在の音楽シーンへの反発」と「しがらみから解放されて音楽を作る楽しさ」のような陰と陽の感情がどっちも入りました。
みんなが捨ててきた音楽、そして今までの自分が見捨ててきた音楽をすべて拾う旅に出ることを宣言するのが1曲目「田舎の学校」です。「大丈夫、俺がバッチリ全部回収する」!
02.満員電車
コロナ渦の影響で毎日の電車通勤がなくなったのですが、それにより電車通勤の異常性を強く認識するようになり、それを曲で表現しました。聴いてるだけで電車に乗っている気分に誘うため「疾走感あふれる走行中」と「車内アナウンスと発車メロディが流れる停車中」を交互に繰り返す構成になっています。
最初は疾走感やワクワク感が強めなのですが、パイナップル駅でドッと客が乗り込んできたことで辛さが増し、それに比例して曲調がシリアスになっていき、車内アナウンスの言っている言葉もどんどん支離滅裂なものになっていきます。3回目の車内アナウンスの文章はかなり意味不明ですが、満員電車の反パニック状態の苦しい状況で聴く車内アナウンスってなんとなくこんなイメージです。頭に入ってこない。
ちなみに、この曲に使われている発車メロディは「もし僕が発車メロディを作るとしたら……」と考えたオリジナルです。どこかの駅で採用してください。
03.詩とスマートフォン
スマホは恐ろしい発明で、人間のクリエイティビティを増幅させることも減少させることもある創造神&悪魔だと思います。2012年前後くらいまでは「LINEが既読に~」みたいな、スマホを題材にした歌詞やスマホ依存について書いた作品をよく見かけたのですが、当時の僕は「今はスマホの歌を作るべきではない」「誰よりも遅くスマホの歌を作るべきだ」と思いました。スマホが恐ろしさを発揮するのは、人々が「スマホがそこにあることを意識すらしなくなったとき」だと感じたからです。
あれから約10年。スマホはだいぶ空気に近付いてきました。スマホの魔法(呪い)にかけられた人々は全員同じ口調のロボットのようになってしまいました。今、スマホの害について言及する人は「ゲームが人殺しを増加させる」と主張する人くらいナンセンスです。2012年の僕が思い描いていたタイミングがやってきたのです。時は来た。それだけだ。
10年前の思惑通り、誰よりも遅く「スマホの歌」を作りました。スマホの魔法(呪い)を解くために必要なのは、個々人がオリジナルの言語で紡ぐ詩だと思うのです。これは決して「スマホの脅威を詩の力でぶっ潰せ」と言いたいわけではありません。「詩とスマートフォンが協力・共存することで最高の作品が誕生するのではないか」という希望です。しかし、こんな遠回しな反戦歌、かつてあったでしょうか。
上記のいきさつもあり、映像には10年くらい前のスマホのプロモーション映像を使いました。出てくるスマホが明らかに古臭いのですが、映像の中では「未来の象徴」みたいに描かれているのが面白く、その間抜けさがなんとも愛おしく、曲調や歌詞にもピッタリ合いました。
04.けがれる輝石
「歌詞にパンチラインを作らない」ということを意識して作った曲です。前作までの僕は「歌詞にパンチラインがあったほうがいいのは当たり前」という考えで、どうやってインパクトのある・刺さるフレーズを生み出そうかを考え続けていて、結果的に「市民会館でオペラをしてる」「簡単な手続きで君とまぶしい部屋で暮らしたい」「この街では犬や猫が売られてるから老後も心配ないよ」など数々の名フレーズを生み出してきました。こうして自分の中に「名フレーズを生み出すロジックやノウハウ」のようなものが築かれていって、質のいい歌詞を効率よく生み出せるようになった一方、作詞が作業的になっていることに違和感や疑問を感じるようになっていきました。「作詞能力が上がる」と「作詞が機械的になる」は限りなくイコールに近いことにようやく最近気づきました。
パンチラインが全体を引っ張っていくタイプの歌詞は「わかりやすさ」「引っかかりやすさ」「伝わりやすさ」「インパクト」「記憶への残りやすさ」といった価値観を重要視していて、乱暴に言えば「子供っぽい」です(それが悪いと言っているわけではなく)。この方向性を強くすると「うっせえわ」のような大衆向けの歌謡曲になり、さらに突き詰めると童謡になると思います。
一方、最近の僕が強く惹かれる歌詞は大貫妙子「都会」で、この歌詞はパンチラインが存在しないように思えますが、インパクトのある単語に頼っていない分、全体が上品で完成された懐石料理のようになっています。わびさびも感じます。味の濃いハンバーガーのような現代のJ-POPの歌詞っぽくないものを、なるべくポップな曲に乗せようという試みでできたのが「けがれる輝石」です。今後こっちの路線に以降するわけではありません。自分は庶民なので基本的には味の濃いハンバーガー路線です。
05.DELIVERY KIDS
デリバリーを頼む機会が増え、出前館のゴッド会員になったので、その曲を作らないとおかしいでしょということで完成した曲です。よくアーティストの説明文で「等身大のリリックが」みたいなことを書いてますが、この曲の歌詞を見ていると、僕が一番等身大なんじゃないかと思えてきます。
「DELIVERY KIDS」というタイトルは、出前館で注文した料理を待ってるときの自分はまるで子供のときのようにワクワクしていることに由来しています。30代になったことで一気に「KIDS」を自称する気持ち悪さが出てきたので今後はどんどん幼児退行していきたいと思います。次に作るブログのタイトルは「青木龍一郎はイヤイヤ期」にする予定です。中華そばを提供している都内の蕎麦屋を巡り、その感想を書くブログ。蕎麦屋の素朴なラーメンが好きなので。
06.MUSIC
週末にTSUTAYAに連れてもらい、そこでCDを借りてもらうのが何よりの楽しみだった小学生時代のことを歌った曲です。音も1990年っぽい要素をいろいろと入れてみました。その年代のインディーズのR&Bにたまにある、ボーカルの音がボヤッとしていて聴こえづらい感じが好きなので、その質感も目指しました。
07.あぶくのサイレン
HASAMI groupの代表的な手法の1つに「音の隙間をザラザラのノイズで埋める」というものがありまして、これにより薄っぺらさや物足りなさを解消してきました。中学生のときに発明した得意技で、これによって「病気が治ったら」「Summer」のような曲が生まれています。
今回のアルバムはその特技を封印して、より良いものを作ろうというコンセプトもありまして、「あぶくのサイレン」はそれが一番意識されている曲だと思います。余白や隙間をなるべくそのままにして、ザラザラの音で誤魔化さず、それでいて生々しい哀愁を表現することに挑戦しました。まだまだチャレンジし続けるHASAMI group。今後の成長にも期待できそうですね。
「すべてをひっくり返す」と言ったあとの回文4連発は素敵な試みですね。
08.IA
最初は「めちゃくちゃ韻を踏む曲を作ろうかな」というコンセプトだったのですが、突き詰めた結果「ia」の繰り返しになるという、韻とは別次元の歌詞になってしまいました。
09.Good Morning,Japanese
J-POPにおける「朝の歌」はどれも爽やかで高揚感に満ち溢れていて、1日が始まる希望をキラキラとしたサウンドやメロディで表現しているものばかりなのですが、低血圧の自分からするとどこかフェイクっぽさを感じてしまい共感できません。平日の目覚めはもっと最悪なもののはずです。目覚まし時計が鳴ったときの絶望感ったらないですよね。ダルいですよね。グッタリしますよね。そこで自分にとっての朝のイメージを音で表現しようと思ったのが、この「Good Morning,Japanese」です。耳障りな「ピヨピヨピヨ」という音がしきりに鳴っているのですが、これが僕の脳内に鳴っている朝の鳥の鳴き声のイメージです。本当にうるさい。あと「トントントントン」みたいな音もうるさいと思うのですが、これは周囲から聞こえてくる生活音のイメージです。これが史上初の「リアルな朝ソング」。音楽の世界では朝ってやたら「いいもの」として描かれますけど、実際はこんなもんですよね。
10.IQ500の蕎麦屋
チンチンをイジっていたときに突然「IQ500の天才蕎麦屋」という言葉が思い浮かび、そのイメージをそのまま曲に仕上げました。制作中のどこかのタイミングで「天才」という単語が消滅して「IQ500の蕎麦屋」になっていたのですが、未だにそれがいつだったのかわかりません。
11.卒園式
学校の卒業式の歌はあるけど「卒園式」の歌ってあまりないのではと思い、5年くらい前から「いつか『卒園式』の曲を作ろう」とタイミングを伺っていたのですが、今回のアルバムのコンセプトが自分のルーツを見つめるということだったので、ここぞとばかりに作りました。卒園式の曲を。カッコいいリフをいろいろ考えていたのですが、最終的に「8小節ごとに1回『ダン』とピアノを鳴らす」という極限までシンプルなものが一番カッコいいのではと考えまして、このような曲になりました。
12.■■事件
言葉を乗せるリズムを完全なるon beatにせず、絶妙に先走ったり、空白を空けたりすることで、ネジが外れた感じを出そうと奮闘しています。またそれぞれの音のバランスがちょっとおかしかったりするのですが、ギリギリ言われないと気付かれないようにして、「なんか居心地が悪いけど何故かはわからない」という感じに仕上げてみました。
13.儚いクレマチス
「儚いクレマチス」という言葉は17th album「Heart Wire Tapping」のボツタイトル候補だったのですが、お気に入りのワードではありまして、せっかくだからこのタイトルで曲を作ることにしました。
HASAMI groupはこれまで100%打ち込みだったのですが、この曲で初めて自分でキーボードを演奏しました。楽器ができないことが売りの僕でしたが、ついに「楽器できます」と言ってもいいことになってしまったのでしょうか?
曲のイメージは子供の頃に行った科学博物館の宇宙ブースで、惑星の説明VTRの裏で鳴っていた、やたら壮大なBGMです。この曲のイントロを聴いていると「この青い星が、私達の住む地球です」という男性のナレーションが聞こえてきそうです。
14.FIRE
小学生のときの僕は熱心な「Dancemania SPEED」のリスナーだったのですが、そのときに植え付けられた「速いBPMの四つ打ちと哀愁のあるメロディは素晴らしいものだ」という感性を素直に曲にしたのがこれです。
「Light My Fire」と「かしこまりました」で韻を踏めるということに3年前に気付き、震えあがったのを覚えています。いつか歌詞に使ってやろうと思っていました。
15.パルコの消滅
中学生のときは、毎週のように自転車で宇都宮パルコに行き、エレベーターを使わずに階段で8Fのタワレコに向かい、朦朧とする意識でCDを端から端まで眺めるということを習慣にしていました。そして月に1度発行されるフリーペーパー「bounce」を家に持ち帰り、知らないアーティストを片っ端から検索するという生活をしていました。
自分が今も曲を作り続けられていることの一端は、毎週パルコに通っていた経験にあり、自分の音楽史の核にある宇都宮パルコが閉店したことは心に穴が空いてしまうような出来事でした。実際に穴が空いたとの説もあります。
2019年にパルコが閉店してから今もなおテナントは入らず、宇都宮の中心地にはドデカい空っぽの入れ物がドンと佇んでいる状態です。その光景は「物悲しさ」とはいかないまでも、自分の心の何か少しザワザワした感覚を与えます。この出来事は変わりゆく街について歌う題材としてもピッタリだと思い、今回のアルバムの主題にしました。
最後に、今回のアルバムのボツジャケット案を。