日本橋を覆っていた首都高が撤去される工事が始まりました。「歴史的な建造物である日本橋の上に首都高を建設して原風景をぶち壊してふざけるな」という声は前からあって、それがようやく解消に向かう形です。
「日本橋」覆う首都高 撤去工事開始 日本橋に青空復活へ
このニュース、コメント欄を見てると7割が「綺麗な景色に戻るのはうれしい」という歓迎コメント、3割が「今の景色もそれはそれで味があって好きだったから寂しいかも」という意見で、撤去工事を真っ向から批判する意見はほぼ皆無でした。
僕は反対派でして、その理由を端的にまとめると「首都高を取り除いただけで、そんなにいい景観に“戻る”のか?」です。首都高撤去の話は2006年頃から具体的に進められていて、僕は実際に日本橋に赴いた際、首都高を取り除いたらどんな感じの景色になるのかを想像したり、手で首都高を隠したりしながら、イメージしたのですが、周りが高層ビルばかりなので結局は空は狭いままでした。
今の日本橋が日本固有の歴史を感じさせる江戸チックな建築だったら、まだそれを尊重する理由もわかるのですが、実際はヨーロッパによくある後期ヴィクトリア調の橋と変わりません。江戸以前の姿がずっと受け継がれてるわけではなく1911年にルネサンス様式となり、近代化(西欧化)しているのです。なので海外の人たちから見れば観光資源としての魅力もそんなにないんじゃないかと。そういうことを諸々考慮すると3200億円をぶち込むメリットはあるのかとモヤモヤします。
●歴史
日本橋に覆いかぶさる首都高の歴史を簡単にまとめてみました。
★1962年
日本橋の上を通る首都高の工事がスタート。
★1964年
工事が完了。
★1968年
三越の社長などが率いる「名橋『日本橋』保存会」設立。日本橋に取り壊しの危機があったわけではないが、未来のために維持することの重要性を説いた。この時点での趣意書には「首都高をを取り壊せ!」という主張もない。
★1971年
「名橋『日本橋』保存会」が日本橋をブラシなどで洗う恒例行事「橋洗い」を開始。
★1983年
「名橋『日本橋』保存会」が初めて高架部分の撤去を求める。背景には、都市施設として河川に対する関心が高まっていたことが挙げられる。
★1997年
東京都が景観条例を定めた。全国各地でも景観を守るための条例が次々と成立。→バブル以降美しい風景を守ろうという意識の高まっていたが、それが1つの到達点に達した。
★2004年
国全体の指針となる「美しい国づくり政策大綱」を受けて景観法が成立。各自治体が行っていた景観の管理を国が大々的にリードしていく。
★2006年
小泉純一郎政権が高架撤去計画を本格化し「日本橋川に空を取り戻す」と宣言。「日本橋川に空を取り戻す会」が誕生する。
なぜ2006年に高架撤去計画が本格化したのでしょうか。
2000年以降、ハイウェイが地下化される動きは世界的に広まっていて、ボストン、シアトル、サンフランシスコなどで実際に工事が行われました。そんな中、決定打となったのが2005年にソウルのチョンゲン川の上に架かっていた高速道路が撤去されたことだったと思います。ソウルは都市として東京のライバルとして位置づけられていて、これは日本の首都が国際的な流れにおいて韓国の首都に遅れをとった出来事の1つでした。
(チョンゲン川)
当時の日本橋の再生プランは、川の両側に遊歩道が設けられたり、新規の親水公園が作られたりなどする内容で、復元工事されたチョンゲン川を意識しているようにしか見えません。「これまで日本橋川沿いに遊歩道など作られていなかっただろ」とツッコみたくなりますが、この再生プランはまさに日本橋の高架撤去計画の最重要目標が「かつての景色を取り戻す」のではなく「国際的な流れに追いつく」ことなんだろうということを表しています。「歴史」「伝統」を謳い文句にした土建行政という感じでしょうか。
「名橋『日本橋』保存会」や「日本橋 みちと景観を考える懇談会」といった首都高の撤去を求める会は、高層ビルの出現にはまったく反対しません。冒頭でも述べたように、実際には首都高を撤去しても、高層ビルで空は狭いままなのですが。先ほどの歴史をまとめたところで「名橋『日本橋』保存会」は誰が率いているのかをサラッと書きました。その“誰か”が何を目指しているのかを邪推すると、「景色を取り戻したい」という思いよりも「オフィスビルなどの不動産的価値をなんとかして高めていきたい」という欲望が、まるで炙り出しのようにジワ~ッと浮き出てくる感じがしますが真相やいかに…といったところです。
東京オリンピックに向けて国立競技場が建設されるときにものすごく批判がありましたが、日本橋が撤去されるというニュースでは批判をほとんど見かけません。しかし、この2つは根源的に同質の問題を含んでいるかと思います。大衆の風景に対する眼差しはかなり保守的で、「歴史や伝統を守る」という大義名分に弱いことも分かります。実際は過去だけが過去なのではなく、今も(歴史の中で見れば)過去です。国や資本主義の思惑に惑わされることなくものを見る目線が非常に大切で、僕はそれを自分の創作物にも常に生かしたいと思っています。
【結論という名の宣伝】
私がやっているHASAMI groupという音楽グループでは、こういった景観に関する眼差しを研ぎ澄ませながら、音楽で街を描いております。後日リリースする作品「metamorphosis3」に収録されている「不思議な都市計画 take.2」という曲はそんな眼差しが非常によく表れた楽曲だと思います。後日、解説も掲載する予定ですので、ぜひ深く味わってみてください。
「metamorphosis3」coming soon!!!!