2022年5月5日木曜日

個性を肯定する歌を聴くと悲しくなってくる

【ryuchell「Link」を聴いていると湧き上がってくる卑屈な気持ちは何か?】

聴いてると悲しくなってくる曲を紹介します。

ryuchell(りゅうちぇる)の「Link」という曲です。


はじめにお断りしておくと、この曲のサウンド自体は好きです。年間BEST100に選出したくらい好きなトラックとメロディだし、歌い方も独特で良い。なんなら感動的で泣けてくるんです。ただ歌詞を深く読み込んでいると、不可思議なことに、悲しい気持ちや腹立たしい気持ちも湧き上がってくるのです。まずは歌詞と共に聞いていただければと思います。



歌詞



曲名の「Link(りんく)」はりゅうちぇるの息子の名前で、歌詞は基本的に息子&妻への愛が歌われたものです。そしてもう1つ、息子に言い聞かせるようにして「個性の大切さ」をメッセージとして発信しています。全体を通してけっこう感動的なのですが、一方で引っかかるフレーズもあります。


★引っかかるフレーズ★

・バカ馬鹿ばっか 言われてばっかで「普通」のほうがいいのかと悩んでたけど ありのままの自分を選び 僕は 愛を見つけたんだ

・前例ばっか とらわれてる世界 知ったかぶり 何がわかる? 未来 壊そう!造ろう!

・誰でもない生き方でありますように

・一緒に輝こうね キラキラキラ


本人はまったくそんな気はないとは思いますが、「個性的であることを肯定する」ことの裏返しとして「没個性であることを否定する」歌詞になってしまっています。これをうまく回避する言葉選びや構成も可能だと思うですが、りゅうちぇるさんもそこまで配慮するつもりはなかったのかもしれません。


曲はまず、「自分が昔から『普通』ではなかったこと」「それで悩んでいたこと」を提示して、その上で自分の個性を否定してきた人々に対して対抗していく姿勢を見せます。真っ当な意見だとは思う一方、うっすらと「個性ある奴が偉ぇのか…?」「“はみ出し者の僕”がこの世界の主人公で、それにケチつけてくる無個性なお利口さんたちは脇役ってか?」と心の中がザワザワしてきます。そして最後の「一緒に輝こうね キラキラキラ」で、卑屈な気持ちが爆発して、イヤホンを壁に投げつけてしまうのです。


え、誰かと似たような生き方をしてる人たちはキラキラ輝いてないの!?

「普通」に生きることを選んだ人は、ドス黒い石ころのように、海底で暗く佇んでいるっての!?


これと似たような気分になるコンテンツがもう1つあります。YouTubeチャンネルの「街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜」です。「あなたの人生、教えて下さい」というタイトルの通り、ある人物が自らの人生をひたすら語る動画がアップされています。このチャンネルでは基本的に壮絶な人生を送ってきた人が取り上げられており、なんの事件もないありふれた人生を送ってきた人は一切登場しません。普通すぎる人生では視聴数を稼げないから当たり前なんですけど、「あなたの人生、教えて下さい」と銘打っているチャンネルがひたすら個性的な人生だけを取り上げ、サムネでは過剰なまでに壮絶人生を演出するような過激な煽りワードが並んでいるのを見ていると、「普通じゃない人生こそ価値が高い」「普通の人生は、もはや人生にあらず」と言っているように見えて、非常に寂しい気持ちになるのです。寂しい、暗い、寒い、怖い……。





【「世界に一つだけの花」の呪い】

ryuchell「Link」や「街録ch」は極端な例ですが、20~30代より下の人々は特に「個性的>無個性」という価値観を当たり前に持ってしまっているように感じます。その原因の1つは子供時代に「世界に一つだけの花」が大ヒットしたことなんじゃないかなと思っていて、学校でたくさん歌わされたり、街角でたくさん聞いたりしているうちに、「オンリーワンにならなくちゃいけない」と洗脳されてしまったのではないかと。これを僕は「『世界に一つだけの花』の呪い」と呼んでいて、実際に友人との会話で、あたかも世に存在している言葉のように使ったりしています。


歌詞で歌われているのはあくまで「(みんなは)もともと特別なオンリーワン」ということで、「オンリーワンにならなくちゃいけない」ではないのですが(もっと言えば反戦歌としての側面や槇原敬之の実体験としての文脈も考慮すべきで……)、この「もともと」という概念が意外と小学生には難しくて、なんとなく「オンリーワンであることが大切なんだ」という意味合いで頭に植え付けられ、それが「オンリーワンにならなくちゃいけない」へと変容していった人は多いと思います。(金子みすゞの「みんな違って、みんないい」もだいぶ補強してるかも)


「世界に一つだけの花」が言っている「もともと特別なオンリーワン=誰にでも個性がある」というメッセージは若干屁理屈が入ってるなと思っています。確かに「個性のハードル」を一番下まで下げればそういえるのですが、現実的な世の中は「個性のハードル」は一番下まで下がっていません。


「個性 / 無個性」を「健康 / 病気」に置き換えるとわかりやすいと思います。「健康のハードル」を最大級に上げたらこの世の全員病気だし、最大級に下げたら全国民が健康だけど、現実はそんな場所にハードルは設けられていませんよね。これを「世界に1つだけの花」に当てはめると、「生きてるだけでお前ら全員健康だ!」と言ってるだけで、実際病気で苦しんでいる人たちを無視してるように思えるんです。


なんで個性を肯定する歌を聴くと悲しくなってくるのか、考えていたのですが、全員を無理矢理「個性がある」とひとまとめにしてしまっていて、それが逆に個々の性質を無視しているんですよね。全員を温かく包んでいるような面構えをしておきながら、あまりに多くの人を無視してるその姿勢がなんだか怖くなってくるのです。これって要は「俺の存在が無視されてる」という不安と恐怖なのかもしれません。これが強まることで狂人になっていくのでしょうか。りゅうちぇるに「俺のことも気にしてくれ」とクレームを入れる成人男性……客観的に自分を見ると相当怖い気がします。結局、みんな違って、みんな怖い。という臆病な金子みすゞみたいな結論になってしまいましたが、皆さんはどう思うか。









ちなみに濱田祐太郎さんが自身のYouTubeチャンネルで「視覚障害」という別角度から個性について語っていて、今回の話とうっすらリンクしているような気がする(またはしない)ポイントもあり、興味深いです。観るといいのでは。


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