今年、奇跡の復活を遂げたノリアキ。
確かに観ていて面白いのですが、
面白ければ面白いほど「これはコントである」という現実を認識させられ、ふと寂しくなります。
そして「本物を見たい」と欲が出てきてしまうのです。
本人が一切狙ってない「ノリアキのリアル版」って居ないのでしょうか。
そう思った矢先に出会った曲がsolohighlifeの「everyday」でした。
★solohighlife「everyday」のすごさ
・当たり前のように情報が一切無い。
・ジャケットの画質が不自然に粗い(なぜか神社らしき場所で撮影されている)。
・「Welcome to the darkside…Black Rose…」という女性のボイスサンプルで始まる。
・「Black Rose…」が頻繁に登場しすぎる。
・「稼ぎまくるハスラーのように」みたいなことを歌っているのに、トラックが感傷的で歌詞と合ってない。
・「エビデイ」の「イ」の部分を伸ばして「エビデイ~イイ」と歌う部分がある。
…などなど上げるとキリがありません。
とりあえず、歌詞を書き起こしたので
歌詞をじっくりと味わいながらこの曲を聴いてほしいです。
(歌詞の情報もないため実際の表記が異なるところもあるかもしれません。すみません)
solohighlife「everyday」
稼ぎまくるハスラーのように
遊びまくるプレイヤーのように
everyday everyday everyday
稼ぎまくるハスラーのように
遊びまくるプレイヤーのように
everyday everyday everyday
いつだってそうさ 俺らは夢のようなライフを生きている
24時間 7日間 365日
好きなこと以外したくねーよ
それ以外には興味ねーよ
無駄なことしてる時間ねーよ
今日という日はもうこねーよ
稼ぎまくるハスラーのように
遊びまくるプレイヤーのように
everyday everyday everyday
稼ぎまくるハスラーのように
遊びまくるプレイヤーのように
everyday everyday everyday
稼ぎまくるハスラーのように
遊びまくるプレイヤーのように
everyday everyday everyday
稼ぎまくるハスラーのように
遊びまくるプレイヤーのように
everyday everyday everyday
24時間 7日間 365日
好きなこと以外したくねーよ
それ以外には興味ねーよ
無駄なことしてる時間ねーよ
今日という日はもうこねーよ
稼ぎまくるハスラーのように
遊びまくるプレイヤーのように
everyday everyday everyday
稼ぎまくるハスラーのように
遊びまくるプレイヤーのように
everyday everyday everyday
やっぱり「本物」って感じがします。
ノリアキのようにエンターテイメントとして完成されていないので、
バッチリな笑いどころは用意されていませんが、
本物が放つ「繊細な魅力」「生々しさ」「地味な異様さ」「じっとりとしたヤバさ」みたいなものは十分に感じられるはずです。
僕が「everyday」に関して(皮肉とか抜きに)マジですごいと感銘を受けたのは
1番と2番の歌詞がほぼ同じだけど、
2番は、1番の冒頭「いつだってそうさ 俺らは夢のようなライフを生きている」を削って詰めているので最後に8小節分余っている
ということです。文章がわかりにくくてすみません。
下に分かりやすく図示しました。
1番
①いつだってそうさ 俺らは夢のようなライフを生きている
②24時間 7日間 365日
③好きなこと以外したくねーよ それ以外には興味ねーよ
④無駄なことしてる時間ねーよ 今日という日はもうこねーよ
2番
①24時間 7日間 365日
②好きなこと以外したくねーよ それ以外には興味ねーよ
③無駄なことしてる時間ねーよ 今日という日はもうこねーよ
④-
1番にあった「いつだってそうさ 俺らは夢のようなライフを生きている」の部分が
2番では削られており、その代わり②にあった「24時間 7日間 365日」が1個前にズレて①に入ります。
当然そのまま1個ずつズレていくので、2番の④に空白ができてしまう。
せめてここで新たなフレーズを追加すればすべて埋まるのですが、
「everyday」では空いた部分は空いたままで放置されています。
歌詞が早めに終わったら、そのまま終わりにしていいんだなと気付かされます。
「言いたいことは言い終わったけど、曲の尺はまだある」というとき、
常人なら余った尺を埋めようとさらに歌詞を考えると思うんですが、よーく考えると、そんなことする理由って別にないんですよね。
「歌詞で言いたいことの文量」と「曲の尺」が一致することなんてほとんどないんじゃないかと。
我々は固定概念に囚われていることによって、歌詞に蛇足を加えたりしてるんじゃないかと。
実際はマイケル・ジャクソン「スリラー」のMVと同じスタイルでいいわけですよね。
曲終わってるけど、映像まだ続いてるみたいな。
このスリラースタイルの話は、現代の労働問題にも通じてると思うんです。
「作業が早めに終わったら帰っていい」みたいな当たり前なことができない会社が多い。
作業量ではなく労働時間を定めるから。
J-POPも同じ問題を抱えているといっていいでしょう。
歌詞の文量を曲に尺に合わせようとしすぎて自由な表現ができていない。
早く歌い終わったら、黙ってていいんです。曲が続いてても。
自分も今度、そんな曲を作りたいと思っています。
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