全世界待望のHASAMI group最新曲「HASAMI group shirk danger」がアップされました。同曲最大の特徴は後半2分間が無音なことです。この試みはいったいどういう意味なのか、簡単に解説できればと思います。
この曲を普通に聴いていれば、約1分40秒の激しいサウンドが鳴り響いたあと、2分間の静寂が訪れます。私は先ほど外を散歩しながら聴いていましたが、曲が終わった瞬間にイヤホンの外から人々の雑踏や電車の音が飛び込んできて、そんな「環境音」や「静寂」が「先ほどまで鳴っていた曲の余韻」といい具合にミックスされ、なんとも言えない味わい深さや情緒をまとっていました。これがサブスク時代の音楽からどんどん失われている「わびさび」なのではないでしょうか。そんなわびさびをこの曲で味わってほしいと思います。
お察しの通り、「HASAMI group shirk danger」はジョン・ケージの歴史的傑作「4分33秒」の応用です。ジョン・ケージの「4分33秒」は「身の回りで鳴っているすべての音が音楽になり得る」というメッセージを含んでいましたが、「HASAMI group shirk danger」はそれとは少し異なります。
「HASAMI group shirk danger」の主題は、後半に2分間の無音を入れることで、YouTubeやスマホで聴いたときに意図的に次の曲との間に2分間の「間」を空けることです。現代の人々が音楽を聴く環境の大半はサブスク、YouTube、スマホのシャッフル再生などで「曲が終わった瞬間、余韻が何もなく、まったく別のアーティストがすぐ流れ始まる」という状態になります。現代において、曲は独立した存在になっておらず、「ノンストップで永遠に続く巨大なシャッフル再生の渦」の中に組み込まれてしまうのです。これにより、それぞれの曲が持つ“余韻”はかき消されてしまいます。この状態から脱却させるためには、作り手が強制的に数分間の無音部分を入れるしかないのではないか……という現代の音楽の再生環境に強烈な皮肉を投げかけているのが、「HASAMI group shirk danger」なのです。(半分ギャグ、半分本気でやっています)
……と御託を並べてしまっていますが、難しいことは考えず、単純に曲が終わったあとの「2分間」の無音を味わってほしいです。サブスク大シャッフル再生時代に失われがちな“余韻”を沈黙や環境音と併せて味わってみてください。この時代ではなかなか味わえない感覚かと思います。
例えば、映画なんかは終わったあと、存分に余韻を楽しめます。エンドロールが終了すると同時に、まったく別の映画のオープニングが始まったら、劇場の観客たちは「余韻に浸ってたのに!」とキレだすと思います。なぜこの感覚が音楽にはあまりないのか? なんとなく不思議です。
私は現代の音楽再生環境に「余韻がなくなってる!」と怒るつもりはまったくないのですが、「余韻や間の素晴らしさを知らないとしたら、ぜひ楽しんでみては」とは思っております。「HASAMI group shirk danger」がその足掛かりになったら嬉しい限りですが、皆さんはどう思うか。
「最後の曲」とはどういう意味ですか? この後どうなりますか?
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