2021年6月20日日曜日

アーティストが「俺の曲はヤバい」と言うことについて

アーティストが「ヤバい曲できた」とツイートして、それにファンが「リリース楽しみすぎます!」みたいなリプを送っているのはよく見かけますよね。

でも曲の発表後にファンが「これがこの間言ってたヤバい曲ですか? なんかイマイチでした。事前にハードル上げすぎなきゃ普通に良い曲だなって思えたかもしれないのに…」というリプを送っているのはほとんど見たことがありません。何故ならアーティストが悲しんだり怒ったりからです…。


発表された作品に対して「期待外れだな」と思うことは多々あると思いますが、大抵の人はネガティブなことなのでそれを表に発信しません。心の中で「期待外れだったな…」としんみりして、外の景色を眺めながらコーヒーを飲むだけです。


僕はヤバい曲ができたとしても「ヤバい曲ができた」とは誰にも言いません。

皆さんにとってはヤバくないかもしれないから。





ここで非通知の電話がかかってきました。

出ると威勢のいい男の声で

「ヤバいかどうかを決めるのは作った自分なんだから、自分がヤバいと思えばそれを堂々と言えばいいじゃないか!」

と捲し立てられ電話が切れました。





もちろん僕だって自分の「ヤバい」を一番信じています。

世の中の全員が「これは駄曲だ」と言っても、

僕が「ヤバい」と思えばそれは最高の曲だし、その信念は揺らぎません。

僕は僕の音楽が最高だと信じています。

だからこそ誰にも言う必要がないのです。

僕が「俺の曲はヤバい」と言っても言わなくても、僕の曲は僕にとってヤバいのです。

それはまったく変わらないのです。



しかし「俺の曲はヤバい」と世の中に言うことで変わるものがあります。

それは自分以外の評価です。

「俺の曲はヤバい」と言うことで、「あっ、そうなんだ」とヤバさに気付く人もいるはずです。

逆に「ハードル上がったせいで良く思えない」と評価を下げてしまう人もいるでしょう。


結局「俺の曲はヤバい」という言葉を世に発信することは

意識的であろうと、無意識であろうと

周囲からの評価を変えようとしているのです。


自分に「俺の曲ってヤバいよね!」と言い聞かせるのならば心の中で十分なはずです。




僕は「ヤバい曲できた」は言いませんが、

「俺の曲はヤバい」は不意に言ってしまいそうになることがあります。

つまり、まだ100%自分の感覚を信じられてないのでしょう。

どこかで「俺の曲は本当にヤバいのか」という不安が0.1ミリでもあるのでしょう。


本当に一切の不安がなく、自分の音楽を100%ヤバいと信じれるようになったら、

それは外部からの目線が遮断された狂人です。


僕は曲を作り続けて、信じ続けて、そんな狂人になりたい。

自分の曲が最強だと1000000000%信じて疑わないからこそ、

自分の曲について何も言及しない、無言でヤバい曲を作り続ける不気味な存在になりたい。

その境地まで到達したら、

自分の曲に言及しないどころか、世に発表もしないでしょう。


僕が世に作品を発表している時点で、僕はさらなる高みにいくことができるのです……。

世に発表する気が無くなるまで、“自分にとってのヤバい音楽”を追求し続けようと思うのです……。

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