■インターネットまた会おう
日本で日々リリースされている曲をすべて聴くという試みをしていると、いろいろ気付きがあります。個人的にもっとも強く感じたのは「歌詞に情景描写の割合が減ってる」ということ。ここ最近の曲は「俺はこう思っている」「君はこうだ」「俺と君はこうした」という人間の心理や行動の描写は多いのですが、空の描写、街の描写、季節の描写などが明らかに減っている。昭和や平成初期あたりの曲と比べると。で、あるとしても詩的な表現が全然ない。歌詞に自然が全然出てこない。
これはスマホの普及によって、人々が自然や街を全然見なくなったことと関係あるんじゃないでしょうか。「そんな分かりやすく影響出るかな」って思いますか? でもやっぱり、空や植物の変化から季節の移ろいを感じたり、街に漂うわびさびなどを感じたり、そういった感覚を現代人は失っているのではないでしょうか。
「DOITORA」完成に向けて本腰を入れ始めた夏、僕はインターネットを見てる時間を自然や街を見ることから始めました。いつか電脳世界から引退するときがくるかもしれませんが、今回はお試しで離れてみました。インターネット、また会おうと。
■「Recapture」について
「Recapture」は「愛」「君」「好き」という言葉が出てくるので恋愛ソングだと勘違いされることがあるのですが、特に恋愛のことは歌っていません。「音楽をフラットな目線で評価してます」的な人々に対するムカつきを歌っています。「アーティストの人間性は嫌いだけど、曲は好き。作品と人間性は切り離して評価しなければいけない」みたいな人、ムカつかないですか? アーティストの人間性が嫌いだから、その人の作る曲全部嫌いでよくない?とか思っちゃうんです。もっと感覚的な好き嫌いでよくない?という。そもそも曲の評価なんてその日の体調すら影響する、無数の要素が絡まり合った繊細なものだと思います。「作品だけ切り離して評価」とかできないんじゃないでしょうか?
飯を食えば美食家が星を付けるような物言いで気の利いたグルメコメントを放とうとする男ラブストーリーを観たら映画祭の審査員のような物言いで採点を始める29
そんなことはどうでもいいんだ俺はもっと感覚の話がしたいフラットでいるならば死んでしまえ
犬が下水を飲まないことに理由はない
俺が君を愛しても論文を提出しなくてよろしくお願いしま あっ
人の顔を感じ取り言葉を出しつつも好きな人に愛されたいそれが人生だろ
君の中に落ちていった鍵を探さなくちゃね君の中に落ちていった 僕が奪い返すわ!君の中に落ちていった言葉を君の中に落ちていった 情熱をもう一度
俺は2.0も3.0も必要なくなり電脳通信から引退を宣言し叔父の牧場で気持ちいことをしまくって遊ぶそれが新世代のAOKI 頭がとってもスッキリしている
日々のビートを伸ばし切り唄を歌いつつも好きな人を感じてたいそれが人生だろ
こういうのありがたいです。
返信削除これは嬉しい。製作コラムの続きを楽しみにしています。
返信削除あ、あとラジオも楽しみに待っていますのでまたぜひ更新してください。
削除またこういうのだしてくだちい
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