■序文
「Message from 2025」の軸となっているのは「インターネットの終焉」という曲で、私がこの概念を最初に提唱したのは10年前に遡ります。
当時、青木龍一郎のサイトのトップページに貼られていた動画がこちら↓
Twitterでも正月から元気に宣言↓
あともう少しでインターネットという悪夢は終わる
— 青木龍一郎 (@aokiryuichiro) December 31, 2014
君も僕もあの子もこの子もみんな情報から解放されて、
また元の平和な現実に帰っていくんだ
青木龍一郎が唱える【インターネットの終焉】 pic.twitter.com/XcUyJMQEPS
2015年1月1日に私はTwitterにインターネットの終焉「青木龍一郎のDemise of Internet」を宣言しました。
オフィシャルサイトやTwitterでインターネットの終焉のPR活動をしていましたが、当時は誰も反応せず、全員に無視されました。それから10年が経った現在はどうでしょうか。聞こえてくるのは「インターネットは終わった」という言説ばかり。実はインターネットの終焉は10年前に始まっていました。終焉がスタートする2014~2015年頃の2年間だけ、インターネットはとてつもない美しい雰囲気を放っていました。しかしそれはほとんどの人には気付かれませんでした。
2025年、インターネットはサービスを終了しました。6月の「ドコモ絵文字」撤廃もその象徴だったと私は思っています。今、皆さんがインターネットだと思ってやっているものは残像です。
インターネット終了と同時に「Message from 2025」が誕生しました。「Message from 2025」は私が2015年に発したアラート(通称・青木アラート)の総括であり、2035年以降の未来への新たなアラートといえるのです。
アルバムのジャケットには死んだドコモ絵文字たちが墓標のように刻まれました。そして、それを種に新たな息吹も生まれているのです。それは2035年頃に花開くでしょう。
この記事は「Message from 2025」の解説になっていますが、制作日誌的な側面もあるため、完成した順に記載していきます。
【1曲目】消えても何かが(2024年5月27日完成)
●2024年5月初旬、映画「長浜」の谷口監督から音楽制作の依頼が届きました。ぜひやってみたいと思いましたが、不安もありました。「パルコの消滅」が完成して以来、曲を書いていないどころか、ほとんど音楽ソフトを触っていないので、曲の作り方を忘れていたのです。まずはリハビリから始めなければいけない状態の中、劇場で流すに耐えうるものを納期までに作れるのか……悩みましたが私はこう思いました。やるっきゃ騎士(ナイト)!
●制作を始めると、不安は杞憂に終わりました。5月のうちにエンディング曲「消えても何かが」が完成したのです。映画の内容を自分なりに咀嚼しつつ、あくまで独立した楽曲として存在するようなものにしました。HASAMI group屈指の名曲になったのではないでしょうか。
●作曲面の試みとしてはBメロでリズムが変わって疾走感が出る部分が注目ポイントです。歌詞でも疾走感を出すために「狭間」と「真っ赤」の「ま」を重複させて、歌詞を目で追ってるときに普段よりも進むスピードが早くなる感覚を演出しました。これによりグングンと前に進んでいく感じが表現できていると思います。
●1番のサビの最後では「川を見ながら」と下を向いているのですが、2番の最後は「空を見ながら」としていて、最初は下を向いていた2人が最後には顔を上げるということを表現しています。曲の主軸として描いているのは「下を向いていた2人が顔をあげる」ということなのですが、「下を向いていた顔を上げる」ということは「顔を上げる」の5文字で簡単に描写できるほどあっさりしたものではない感じがしたので、1番のサビから2番のサビという時間的な間をたっぷり使い、かつ「川」「空」という情景描写で人が顔を上げたことを描きました。やりすぎでしょうか…? 個人的には大変気に入っています。
●一番最初にできたこの曲が、結果的にアルバムの最後を飾ることになりました。映画のエンディング曲をアルバムのラストに持ってくるのはベタすぎて、それだけは避ける気でいたのですが、最後までこれを超えるラストっぽい曲ができませんでした。だったら裏の裏をかいてしまおうということで、敢えて「消えても何かが」をラストにもってくることになりました。正解だったと思います。
【2曲目】変(2024年12月9日)
●HASAMI groupは最後に発表したのが「驚異320回転」というよくわからない曲のまま、2年が経とうとしていました。「消えても何かが」はできていましたが、発表するのはまだ先だったので、最新曲が「驚異320回転」というよくわからない曲の状態で2年が経つのはさすがにヤバいということで、「HASAMI group2年ぶりの新曲」として未だに重い腰を上げて作ったのが「変」でした。
●待たせてしまったHASAMI groupリスナーさんに「HASAMI groupっぽさ」を存分に味わってもらおうということで、HASAMI groupっぽいノイズ、HASAMI groupっぽいメロディ、HASAMI groupっぽいビートなど、過剰なHASAMI groupっぽさを意識して、「HASAMI groupのセルフパロディ」のような作り方をしました。こういうファンサービスみたいな曲を作ってきたことがなかったので、自分の中では逆に新鮮で面白かったです。もはやあざといくらいのHASAMI groupっぽい曲ができて、「HASAMI groupが帰ってきた!」感を出すことができました。
●この曲を作ってるときに考えていたことなのですが、アーティストが新しいアルバムを出すときは「進化する」か「原点回帰する」しか許されていない感じがあって、堂々と現状維持しているアルバムはあまり見かけません。それどころか「ちょっとだけ戻っちゃってる」アルバムは余計に見ません。でもセーブしたところからやり直す感じで「ちょっと戻る」というタームが創作者のキャリアの中にあってもいいような気がしていて、それは人生にも当てはまるなと考えていました。「変」の途中で曲調が変わるところは2010年のアルバム「部屋と空」あたり(「病気が治ったら」あたりのイメージが付く前)を意識していて、まさに時を戻っています。HASAMI groupのアルバムや歌詞では、これまでも過去と未来を行き来するような表現がありましたが、曲の中で物理的に「一瞬だけ曲調を昔の作風に戻す」ということは意外とやってる人いないのではないかと思ってやってみました。新たな試みだと思います。
【3曲目】インターネットの終焉(2025年1月29日)
●2年間待たせてしまったリスナーへのご様子窺いが終わり、いよいよ新アルバムの制作が本格的に始まります。大きな軸はもちろん10年前に宣言した「青木龍一郎のDemise of Internet」の伏線回収。この10年間における、初代インターネットのクライマックスを描くことでした。その表題曲ともいえるのが「インターネットの終焉」です。この曲を作り始めたときは「mixi2」が登場して話題になっていて、「mixi6」という言葉を思いつき、そこから膨らませていきました。「mixi6」がリリースされた遥か先の未来から現在のインターネットを懐かしむ曲になっています。「初代mixiで出会った僕たちは老人になっていた」というキラーフレーズが思いついた時点であとはウィニングランといった感じでしょうか。
●「LUUP」「アドトラック」「インプレゾンビ」などは2025年に入った時点で、目にする回数が2024年よりは減ってきた言葉で、「時事ワードなのにもう少し廃れている」という時代の移り変わりの早さを感じさせるものとして機能してくれました。この曲が軸となったことで「Message from 2025」の構想はより強固なものとなりました。
●「新宿駅が取り壊されて、密林の雑草がルミネ跡を覆いつくす」「テレビは犬しか観ていない」の部分は文明の発展がストップしていることを表していますが、悲壮感漂う未来ではなく、むしろインターネットから解放された楽園という意味合いが強いです。ここで「歴史が止まった」を「歴史が止まった」とそのまま表現すると、終わってしまった感が出てしまうので「歴史が昼寝をしてよだれを垂らしている」と表現することによって、いったんの休憩・回復に必要な時間という意味を持たせられてGood jobでした。
●「芸術とエロ動画がタブで隣り合う」というフレーズもお気に入りで、「ネット上では高尚な感じで芸術や音楽を語ってるように見える奴も、別タブではエロ動画を開いてるかもしれないんだから、あんまり真剣に聞くな」という素晴らしくありがたいメッセージが込められています。そこからはメディアを介した人々の二面性が描かれていて、デート中の優しい恋人も裏では誰かのアカウントを嫌がらせで通報しています。
●「心は壊すためにあると思っていた」からは反対に、表面上は忌み嫌われている者たちの裏事情が描かれていて、軽蔑されているLUUP乗りが実はそうせざるを得ない状況に追い込まれた妊婦かもしれないし、アドトラックが人を助けるかもしれないし、インプレゾンビが生命を祝福しているかもしれない。忌み嫌われている者たちが協力して、1つの生命を繋ごうとしている光景を、人々がそれぞれ頭の中に自分で描ければ争いも減るかもしれません。この世界観は今回の作品に通底するものの1つで、のちにアルバムの幕を開けるフレーズ「わたしが苦手な場所にも愛がある」に繋がりました。
【4曲目】東京都に表彰状あげよう(2025年3月23日)
●スポーツ選手が活躍したとき、都庁や役所に呼ばれて表彰されるやつ、個人的にとてもムカつきます。成し遂げた側の人を成し遂げてない側が偉そうに呼びつけて、メダルを噛んだり、「ちょっとブレイクダンスやってみてよ」とムチャぶりしたりしているを見てると、「このヤバい人たちが国を動かしてるんだ」とクラクラしてきます。政治に関してはいろいろ問題ありますが、そのコアが浮き出てるのは意外とこういうところなんじゃないかとかも思う今日この頃です。別に政治だけじゃなくて表彰式の「表彰するほうが表彰される側を呼ぶシステム」ってなんかムカつきませんか。「表彰してやる感」が偉そうなんですよ。お前が1人ひとりの家を巡れ。小学校でも校長が各クラスを回って表彰状を机まで届けろ。
●この気に食わない「表彰するほうが表彰される側を呼ぶシステム」を逆手にとって、「俺も東京に表彰状やるから、都知事は俺のアパートに来いよ」と主張したのが「東京都に表彰状あげよう」です。「政治家が偉そうでムカつく!」というだけの曲といってしまえば、そんな気もするのですが、その主張だけだとシャバくなってしまうので、この上下関係へのパンチを資本主義にも広げて、問題渦巻く資本まみれの東京の風景を皮肉的に描写するようにしました。資本家への反抗としての曲は「ケイティ・ペリー、宇宙へ」もあり、アルバムの序盤ではこの2曲を連結させています。
●ここからは資本家と労働者の話です。「東京都に表彰状あげよう」では、ガストで働くBellaBotが「我々のような労働者階級に新しくできたお友達」として描かれています。人間の仕事を奪う敵と見なされがちなロボットやAIですが、資本家にこき使われている同志でもあるわけです。だからこそ幽閉されているガストから飛び出し、夜の東京を駆け抜け、「臭い摩天楼」「たんぽぽが咲いてる空」「田んぼのような高層ビル」など、とにかく下層から“上”へと向かって進み続けます。最後は東京アラートで真っ赤になった都庁に上り、「しょうがねえから俺が来てやったぞ。表彰状を展望台から落とすから地上でキャッチしろ」と都知事に呼びかけます。いつも偉そうに上から見ている政治家と庶民がひっくり返った感動的で痛快な光景です。しかし、ここで目が覚めます。「一生終わらない東京アラートの夢を見た」。上流階級と労働者階級が逆転するなんてまさに夢物語でした。依然として我々は搾取され続け、テレビもネットも止まってしまうほどの貧困です。だから東京都の感染状況は、都庁まで観に行って直接見るしかありません。(「東京アラートって意味あるのかよ」という嘲笑的な意見が多かったですが、人々が貧乏になりすぎて意味があっちゃったという皮肉です)。展望台から表彰状をバラまいていた夢も冷め、現実では赤い都庁を見上げるばかり。そこに貼られていたのは「26年前の教室に貼られていた生活目標」。子供時代から従順な労働力にさせるための規則や規律で、ここで初めて主人公は自分が物心ついたときから心と体を支配され続けていたことに気付くのです。
●ちなみに「ベラボット」を「ベルボット」と噛んでいますが、オリジナル(情けなさ)を尊重し、そのままにしてあります。
【5曲目】呪われた国語(2025年4月14日)
●最近の日本のヒットチャートを聴いてると、神経質なリズムの曲が多くて、それに歌詞のリズムも縛られているような感じがします。あと炎上するような歌詞を書けなくなっているという縛りもあります。この日本語が身動き取れなくなっている状態を「呪われた国語」として曲にしました。
●この曲ではビートをおおらかで骨太な感じにして、その上で日本語をさまざまなリズムで好きに遊ばせてみようという試みをしています。コロコロとリズムアプローチが変わるのはそのためです。
●ラストの「100点を目指して、レッツゴー国語」はもちろん逆説的な意味合いの皮肉で、根本にあるのは「完璧にカチッとする必要はないよ」という精神です。何か言われたら「うるせえボケ」で返していいし、堂々と叫んでもいいし、別に無理してしゃべらなくて黙っていてもいいし、誤字で平等院鳳凰堂を生み出してもいいし、技法に囚われなくてもいい。とにかく日本語は自由なんだということがなんとなく伝わればいいと思います。「『スマドリでええねん』と言われたら『お前に許可される筋合いはない』と返せ」は、大企業が自分の思い通りの社会になるよう、キャッチーな綺麗ごとで人々をコントロールしようとしているさまを批判しています。「スマドリでええねん」は本当に最悪な日本語で、下劣かつ呪われたキャッチコピーだと思っています。
【6曲目】ケイティ・ペリー宇宙へ(2025年4月22日)
●通勤中に電車が人身事故で止まって、車内に閉じ込められているときに「ケイティ・ペリーが宇宙旅行に成功」という見出しが入ってきました。電車の窓際で外の景色をボーッと眺めているうちに、ケイティ・ペリーは宇宙船からこの地球を見ていて、自分はその地球で必死に通勤をしていて、同じ音楽をしている人間でこうも違うかと、その格差にクラクラしてきてしまったわけです。これが悔しさなのか、絶望なのか、苛立ちなのか、よくわからなかったのですが、とにかくモヤモヤとした感情だったので、急いでスマホのメモ帳に「ケイティ・ペリー宇宙へ」とだけ書き記して、これで1曲作ってやろうと思ったのでした。これは成功しているメジャーアーティストでは絶対に書けない曲だと思うので、アマチュアとしてやっている自分にしか出せない静かな凄みがあるのではないかと……。
●宇宙の曲を書くにしても、ケイティ・ペリーは自分の目で見た本物の宇宙を描き、僕はインターネットで調べた情報をもとに宇宙を想像で描く。音楽は現実と情報の狭間を「ほな現実やないか」「ほな情報やないか」とミルクボーイのように行ったり来たりしているイメージがありました。これが「音楽はミルキーウェイでミルクボーイになる」です。
●「同じ音楽をしてるはずです 掠れた風をマイクから拾う」の部分は、ハイクオリティな録音機材と対照的に、外の風で窓が揺れている音も拾ってしまう自身の録音環境の貧しさを表していますが、宇宙研究や自然開発などで「地球の息が少しずつ絶える」様子も記録されているかもしれない。地球と本当に連動しているのはこちらの録音かもしれない。……というこちらも安い機材のアマチュア音楽の価値を訴える一節です。
●サウンド面に関しては、序盤からエモくなりすぎないように気を付けて、エモさメーターが一定の基準を超えそうになったらスンッとクールダウンする感じを心がけました。盛り上がりそうで盛り上がりMAXまでいかない感じでジワジワとメーターを上げていって、最後の「今決めた」で一発だけ爆発させて、そこから長引かないように、また早めにアウトロに収束する……という構成になっています。今までは「序盤から爆発してやる!」みたいな曲の作り方が多かったのですが、これに関しては終盤で一瞬だけ控え目な爆発が起こるみたいな作り方をしていて、自分の中では新鮮でした。日常で生まれた絶妙な感情をそのまま曲にできたので、嘘がまったくない感じ。今回のアルバムで一番のお気に入りはこの曲かもしれません。爆発力を押さえた分、静かな凄みがあって、奥深さが増したと思っています。
【7曲目】日韓ワールドカップ(2025年5月4日)
●「あの頃は良かった」というなんだか泣きそうになる哀愁とキラキラをエモくないやり方で表現しようとした曲です。
●自分はワールドカップの期間中はテンションが少し上がり、楽しい思い出も多いです。特に日韓ワールドカップは従兄弟のレイくんと熱戦を見守ったり、日本代表の応援歌を口ずさみながらイオンモールをスキップしたり、子供の頃の素敵な思い出として記憶に残っています。それをそのまま曲にしたため、「子供の頃にサッカーの試合を見ていた思い出をただただ語るだけ」という、意外と今までになかったものができました。
●「日韓ワールドカップ」はFIFAの内政などがドロドロに混ざりあった、非常に問題ありな苦肉の策ではあったのですが、そういうことを抜きにして、2つの国が何かを共同開催することが今改めて平和のヒントに成り得るんじゃないかとも思い、そういったおめでたい発想を、なるべくストレートにアウトプットしようとしています。
●2006年の修学旅行とワールドカップの日本戦が被り、宿での観戦が許されたときの高揚感や非日常感は今でも人生のハイライトの1つな気がしていて、キックオフまでの徐々に興奮していく心情を音で表現するのに試行錯誤しました。先制した瞬間の部屋も盛り上がり方がヤバかったのですが、同点ゴール、逆転ゴールと、どんどんお通夜のようなムードになっていき、最後は試合終了を待たずに寝てしまいました。朝起きると、ピッチにへたれ込む中田の映像がワイドショーで繰り返し流れていて、みんな朝飯を食う気すら沸きませんでした。
【8曲目】EPONYM(2025年5月5日)
●「日韓ワールドカップ」を作ったとき、久々にアップテンポの曲を作るのが楽しかったので、その勢いでもう1曲アップテンポな曲を作ろうと思い、制作した曲です。「あ、あ、あ」とノリながら手を動かしていたら、すぐできていました。「いっちょあがり!」と言ってそのまま昼寝したのを覚えています。起きたらすごく汗をかいていたので、氷水をたくさん飲みました。小難しく考えずに作った勢いが出ていて、聴いているだけでストレスが吹き飛びます。
●こういう語ることがあまりない曲がアルバムに1曲あると、全体の風通しがよくなります。そういった意味でなかなか大切な曲です。
【9曲目】Shutter Chance(2025年5月5日)
●「インターネットの終焉」の次にできていたのですが、そのときはそこまで出来がよくなく、ボツ曲候補の最筆頭でした。しかし3カ月が経ち、思い切って大改造をほどこしてみたら一気に覚醒。アルバムの勢いをリードする役割を担える頼もしい曲に生まれ変わりました。
●この曲は後半の「馬喰横山を~」のところの実体験から生まれた曲です。この部分は馬喰横山のPARCELというギャラリーでやっていた太郎千恵蔵さんのアート展を観に行ったときの実話です。ここでは併設されているホテルのロビーにもカラフルな作品が展示されていて、外からも見えるようになっていたのですが、派手なサングラスをかけた若い女性2人組がそれをバックにラテと一緒にピースしてる写真を撮っていて、「坂本龍一展を映えスポットとして利用している人たちが続出してるということが話題になっていてピンときていなかったけど、こういうことか!」と戦慄しました。ギャラリーの入口に向かうと、大学生くらいのカップルの男性が「ギャラリー、入る?」と女性に聞いており、女性は「うん」と頷いていました。「ギャラリー、入る?」はかなり衝撃のワードで、曲中にも入れようかと試みたのですが、強力すぎて歌詞のバランスを崩してしまうため、泣く泣く見送りました。それでも自分の中では今でも「ギャラリー、入る?」という言葉を思い出して痺れることがあります。ちなみにそのカップルはギャラリーに入ったあと、入口付近の2~3作品を観たあと、「なんか違ったかも」みたいな表情でモジモジしながら帰っていました。こちらも胸が苦しくなりました。ラテと一緒にピースしてる女性2人組、「ギャラリー、入る?」のカップルに対し、「芸術を適当に消費しやがって」と憤る一方、そういうライト層が作品に触れられる間口が開かれていることは悪いこととも言えない気もします。いろいろ総合して「なんかモヤモヤする」という感情だけが残り、自分なりの結論を見出すことができませんでした。なので、とりあえずこの感情を曲にして残そうとして作ったのが「Shutter Chance」です。それなのに、気付いたら「撮んな!」と連呼する非常にラディカルで排他的な曲になっていました。
●「坂本龍一」と「アートの雰囲気」で韻を踏んでみましたがどうでしょうか。
●「娘道成寺」を「むすめどうみょうじ」と噛んでいますが、オリジナル(情けなさ)を尊重し、歌詞を「娘道明寺」という存在しない単語に変えてしまいました。録音時に歌詞を噛んだとき、録り直すのではなく、歌詞のほうに変えてしまうという手法をとるときが時折あります。あまり教えたくはないのですが、作曲時の「時短テク」です。
●「星がない空は空じゃない」というフレーズは「イイネの★が付かない空は空と見なさない」という意味です。
【10曲目】ILLUSION(2025年5月5日)
●14年前に出した「flower」というアルバムに「血まみれKISS」という曲があります。HASAMI groupでは(恐らく)唯一ボイスサンプルをビートの一部として使っている曲で、けっこう好きではあるのですが、とても稚拙な出来なので、この方向性で新たな曲を作れないかと思い立ってできたのが「ILLUSION」です。
●内容としては、都道414号四谷角筈線における、代々木から新宿を繋ぐ大きな道をモチーフにした曲。小田急ホテルセンチュリーサザンタワーあたりの大きな道を夜に歩きながら聴くと風景に合って、臨場感があると思います。
●「代々木のデカい道路でステップ ワゴンセールを見てるだけでわらける」は、残念ながら2023年に閉店してしまったBOOKOFF 代々木駅北口店あたりの風景を描写しています。夜になると、こじんまりとしたブックオフの向かい側に巨大な時計塔・ドコモタワーがそびえていて、まさにILLUSIONのような美しさでした。残念ながら消えてしまった風景ですが、歌詞に閉じ込めて永遠に……。まさに「2025年からのメッセージ」に折り込まれた絵ハガキのような曲です。アルバムの中では一番地味な曲に思えるのですが、こういう“スルメ曲”みたいなものは作品に不可欠だと思っていて、「Message from 2025」を完成させるためには絶対に必要なパーツでした。
●「流れ星がピカグレを乱発」の「ピカグレ」はBeatmania用語で、完璧なタイミングで叩くとピカピカと文字が光るグレート(PERFECT GREAT)のこと。流れ星がビートマニアの譜面に見えて、キラキラと光っているのが「ピカグレ」に見えるという、「音ゲー中毒者が綺麗な夜空を描写するとしたら」というロマン溢れる一節です。
【11曲目】バイナラ バイナラ バイナラ(2025年5月5日)
●アルバム制作も終盤に差し掛かり、よりアルバムの世界に引き込むスローテンポの曲をどこかに配置したいという、割とありがちな意図によって作られた曲です。またこの頃には、序盤に置かれていた「インターネットの終焉」をアルバムの最後のほうに持ってくることになり、同曲の疾走感を際立たせるために、その助走となるスローテンポの曲を前に置きたいという意図もありました。「バイナラ バイナラ バイナラ」は以前書いた詩のタイトルにもあって、それとは無関係なのですが、フレーズがハマったので採用しました。
●「インターネットの終焉」がかなり先の未来になっているので、「バイナラ バイナラ バイナラ」は時間軸的には現代からほんの少し進んだ未来が描かれていて、ザハ案を採用した人たちがだいぶ高齢者になっています。ザハ案は白紙化からちょうど10年のタイミングだったので歌詞に入れました。
●「消えた青い鳥がエレベーターで見つかる」はTwitterの復活を暗示しています。またAIに対する嫌悪感の象徴として知られる宮崎駿の「極めて生命に対する冒涜を感じます」という言葉を逆にした「極めて生命に対する愛情を感じます」は、人々がAIへの嫌悪感が薄れ、徐々に愛着を持ってきている未来を表現しています。「終戦日はそうだ 明日のMonday」も現在進行中の戦争が終わったことを示唆しており、基本的にはあまりも無邪気な未来への希望が歌われています。
●希望に向かって進んでいく中で犠牲になっていったものもあると思います。しかしそれを忘れないという思いを込めた、時代に対する鎮魂歌が「バイナラ バイナラ バイナラ」なのだと思います。
【12曲目】初音ミクが買えなくても(2025年5月6日)
●Spotifyにない曲は、存在しないのと同じ。流通してない音楽は音楽じゃない。経済を回さない音楽は音楽じゃない。そんな価値観がまかり通っている今だからこそ、「経済を回さない音楽」のカッコよさを見せつけてやろうという意欲に燃えた曲です。
●作ってるのにお金をかければかけるほど「経済を回してる度」は上がってしまうので、本来みんなお金払ってるところにお金を払わずに作ることも「経済を回さない音楽」の重要な要素でした。つまりこの曲は「初音ミクの声を出している」ことが本質ではなく、「初音ミクの声を出して節約している」ことが本質。数万円を失わずに済んでいるのがイケていて、作者の懐事情を含めた芸術だと捉えられます(または捉えられません)。
●もう1つのテーマとして、最近のきれいに加工されすぎた商業音楽のボーカルへのアンチテーゼもあります。YOASOBIを聴いたとき、音程やリズムが正確すぎて、もはやボカロっぽくなっちゃってる不気味さや味気無さ。人間がボカロに寄せているような本末転倒さ。そういったものを皮肉たっぷりに実践してみました。また「停車場の隅」から始まるラップのパートは意図的にリズムのズレや音程の不安定な揺らぎを強調していて、声を初音ミクにしていながら、人間にしか出せないグルーヴを生み、YOASOBIを牽制しています。
●「珍味買いすぎてお金ない」は実話。「青春時代」を販売して売り上げた三十数万円がいつの間にか珍味代にすべて消えていたという青木の衝撃的なエピソードが元になっています。
●ちなみに「初音ミクの声を再現できるようにいろいろと試行錯誤を……」みたいなことは特になく、一発目のモノマネをそのまま録音しました。
【13曲目】祟りのように(2025年5月13日)
●「もはや悪ふざけの域に達しているくらいキラキラとしたラブソングを作ってみよう」という思い付きにより制作された曲です。「恋は盲目」といいますが、J-POPのラブソングに登場する、恋に落ちて通常の精神状態ではいられなくなっている人が前々から面白いと思っていたので、その状態を「祟られている」ということにしたら、より正気じゃない感じがして良いんじゃないかというアイデアを形にしました。
●“恋愛脳”的なJ-POPのラブソングは1990年代から2000年代まではよく見受けられ、「日本のヒットチャートには恋愛ソングしかない」と評論家に揶揄されていたような気がします。それが2010年代に入ってから、少しずつ恋愛ソングが減っていて、ここ数年のヒットソング「うっせぇわ」「Bling-Bang-Bang-Born」「アイドル」「オトナブルー」「可愛くてごめん」なども恋愛ソングとは呼べません。もちろん最近も恋愛ソングはあるのですが、割とスカした感じのクールなものが多く、“恋愛脳”的なJ-POPのラブソングは明らかに減っている気がします。
●潮流を変えた要因の1つに西野カナの存在があるのではないかというのは私の仮説です。西野カナの「会いたくて 会いたくて震える」という歌詞がネットでイジられまくったのが2010年でした。“恋愛脳”的なJ-POPのラブソング的なものが最高潮まで達したような「恋愛に狂ってしまった人」が笑いの対象になったことで、恋愛ソングに対する眼差しが一気に冷静になってしまったように思います。2000年代後半に「恋空」ブームが起こったことや、「スイーツ(笑)」というネットスラングが生まれたあたりからその潮流は少しずつ生まれていて、西野カナがとどめを刺した形になる気がします。さらに2011年に大震災が起こり、「恋愛に浸ってる場合じゃない」みたいな世間の空気もそれを後押ししたのかなと思いましたが、ここまでこじつけてしまうと陰謀論になってしまいそうなのでいったんやめておきます。
●お前らに勘違いしてもらいたくないのは、「祟りのように」は決して“恋愛脳”的なJ-POPのラブソングをバカにしている曲ではないということです。むしろ非恋愛ソングやスカした恋愛ソングが主流になりつつあり、さらにABEMAやネトフリ的な下品な恋愛リアリティショーが流行ったことで、「恋愛」というものが手軽で安っぽいエンタメの1ジャンルになってしまった今、“恋愛脳”的な要素を力強く表現した作品がカウンター的な効力を発揮するんじゃないかと考えたのです。1990年代のKANや古内東子を聴くとやっぱりすごい。あの頃のJ-POPにいた恋に狂った奴らの生命力をもう一度爆発させてやろうと試みたのが「恋は祟りのように」なのです。「古い歌のような2人になる」というのはそういうことで、1990年代のラブソングの亡霊に祟られているのです。
【14曲目】1999996(2025年5月13日)
●作品の受け手はどうしてもこちらが言っていないことや表現してないことを勝手に解釈してしまったり、こじつけたり、推測してしまうときがあるなという悩みがありました。ライトな音楽ユーザーにもあるのですが、どちらかというと自称音楽マニアや著名な評論家などにも見受けられる拡大解釈というやつです。この拡大解釈はいきすぎると、もはや「作り手が想定していたものと別作品」「聴き手が生み出した別作品」になってしまい、聴き手をクレジットに入れないといけないのでは……と冗談半分に考えたりします。人間は想像する生き物で、しょうがないことでもあるので、「逆に聴き手の想像・解釈してしまう性質に頼りきって、皆さんの頭の中に作品を作ってもらっちゃおう」と考えたのが「199996」です。
●この曲の歌詞は、全部の文章に意味がなく、私は“練る”作業を一切放置しているのですが、これを怪しげなトラックに乗せたら、聞き手が勝手に文章を繋げてなんとなく恐ろしいストーリーを作ってくれるのではないかという意図があります。この曲を聴いたとき、「どこかの街で起こった、子供が関係した恐ろしい事件が起こって……」みたいな人怖系の恐ろしいストーリーや光景をボンヤリと思い浮かべたのではないでしょうか。それは、あなたが断片的な情報を集めて整理した、あなたのサンプリング作品だと思いませんか。映画でいうならば脚本を担当しているのは私ではなく、あなたではないですか。
●「火侮喜くん」とは誰なのか知りません。「7回目のビンタでベイブレードを置いた君」は宇多田ヒカル「Automatic」は「7回目のベルで受話器を取った君」の単語を適当に組み替えただけです。ポケモン博士のくだりもまったく意味が分かりません。「鼻に臭いお化けライダー」に至っては文章がおかしいです。「ゲラちゃん」とは誰なのか知りません。「一緒にドラマを観ましょう」は誰が誰に言った言葉なのかわかりません。「ロマンスの神様 この犬でしょか?」は「ロマンスの神様」の一節を変えたもので、なぜこの曲が最後に引用されたのかわかりません。そして「199996」というタイトルにもまったく意味が込められていません。なぜ「199996」なのか自分でもわかりません。歌詞とも何も関係がありません。とにかく徹底して、意味や意図がまったく存在しない言葉たちで構成されているにもかかわらず、人間は曲の雰囲気に引っ張られてこれらを“意味深”と捉えます。これを全部繋げて、完璧に自分なりの解釈ができた人は陰謀論を生み出す才能があると思います。逆にこの曲を聴いて何も想像・解釈しなかった人は心配です。
●「1999996」に出てくる言葉を見聞きして、「これ全部適当だろ!」と完全に断定できた人はほとんどいないんじゃないでしょうか。なんらかの意味を見出す人間の想像力はすごさであり、脆さだと思います。それを浮き彫りにしようとした実験的な作品です。
【15曲目】Discord & Hiss Noise 2025(2025年5月19日)
●14曲まで出揃ってそろそろアルバム完成という段階で、曲順を試行錯誤している中、「初音ミクが買えなくても」と「ILLUSION」の流れがあまり良くなくて、ここをスムーズに繋ぐ曲を挟みたいなと考えていました。過去の曲をいろいろ聴き直しながら「Discord & Hiss Noiseっぽい曲があればハマりそうなんだけどなあ」「というかDiscord & Hiss Noiseを作り直せばいいんじゃないか」「アルバムの終盤で15年前の曲が出てきたら、最新ウルトラマン映画の終盤に初代ウルトラマンが助っ人で出てきた……みたいな感じの熱さが出るのでは」などと考えて、15年ぶりに再録することにしました。自分はHASAMI groupの作り手であり、HASAMI groupの最古参リスナーでもあるので、最古参リスナーの自分を喜ばせるための演出という感じでした。
●「2つのボーカルが微妙にユニゾンしていない」というこだわりを継承しつつ、原曲のボヤッとした部分をよりソリッドにしています。
●2010年当時の平和に対する思いを込めた歌詞が今でも全然通用することに少し虚しさを覚えましたが、おいしいものを食べればすぐに忘れる程度の虚しさなので、我ながら平和ボケがすごいなと思っています。もうしょうがない。
【16曲目】わたしはなんも(2025年5月22日)
●「Message from 2025」の当初の設計図は15曲入り45分程度だったので「Discord & Hiss Noise 2025」ができた時点で「アルバム完成~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」となり、いったん祝杯(SPARKLING YUNKER V)を上げたのですが、改めてアルバムを通しで聴いてみると、全体の出来が良すぎて、あまりにも45分がすぐに過ぎ去ってしまい、物足りなさを感じてしまいました。あまりにもおいしく作りすぎて「量が足りない」という新たな不満点が出てきてしまった料理みたいな。これを解消すべく、飲んだ祝杯をいったん吐き出し、もう少しアルバム制作を続ける決断をしました。やっと終わったと思ったものがまだ続くのはしんどかったし、15曲を生み出して完全に出涸らし状態だったので、「もうこれ以上作曲したくないです」「もう何も出ません。しんどいです」という気持ちだったのですが、ここでもうひと踏ん張りするという決断により「わたしはなんも」が生まれたので、本当によかったです。
●適当に作った曲をいくら加えたところで、アルバムの物足りなさは解消されなさそうな気がしたので、この物足りなさを一発で無くす重いパンチのような曲が必要だと思いました。ちょこまかと変化するよりも、「イントロのリフが4分間で一度も鳴りやまないし、変化もしない」という構成のほうが重いパンチになりそうだぞという方針ができて、それに沿って作っていく形になりました。
●世界規模でもインターネットの小さな界隈規模でも争いが起きていますが、自分はいつも加害者でも被害者でも当事者でもなく、第三者という気分がしています。子供の頃からずっとクラスの中心的出来事の外にいました。それは今も変わっておらず、中心で何が起こっているのか分かっていません。「寂しさ」も「心地よさ」もない、本当になんでもない無色の孤独感がずっとあることを曲にしました。この疎外感は私独特なものではなく、皆さんにもあるんじゃないかという気がしていて、この曲もけっこう共感されるんじゃないでしょうか。この“寂しさではない孤独感”を表現したのが「君のいない平野は寒い」という一節です。「寂しい」という気持ちではなく、あくまで「寒い」という客観的な事実なんですが、「寂しい」よりも痛切な感じがするのが興味深いです。
●基本的に人々は誰しもが「自分は第三者だ」という感覚をもっていると思いますし、その感覚を突き詰めたのがHASAMI groupの音楽であるという自覚もありました。ですが平和や戦争に関しては非当事者すぎるのもよくないなと最近ようやく思うようになりました。ただ日々の生活で疲れ切っている人に「政治にもっと参加しろ!」「もっと怒れ!」とは言えません。「怒れる」ということも恵まれていることの一種だと思うので、そのパワーを奪われてしまった人たちでも聴ける音楽を誰かが作る必要はあります。「戦争中に作り始めたアルバムが戦争中に完成する」という状況の中で「Message from 2025」を作る意義はそこにあるのではないかと思い、そんな気持ちも最後に込めました。そういう人たちは戦わなくていいので、今までの歴史を注意深く観察して、逃げなければいけない場面で逃げましょうと思っています。
●「100歳以下の子供たちよ 大人の言うことを聞くな 大人の言うことを聴け」という歌詞は、今までの歴史を注意深く観察することの大切さを表現しています。「聞く」は「音を耳で感じ取る。自然に耳に入ってくる」、「聴く」は「聞こうとして聞く。注意してよく聞く」という意味合いがあります。「100歳以下の子供たち」といっているので、ここでいう“子供”は現世で生きているほぼすべての人々のことで、“大人”は100年以上前の世界に生きていた先人のことを指します。人は何においても非当事者という感覚があると思いますが、綿々と受け継がれてきた歴史を構成するものの1つでもあります。過去からのメッセージを受け取り、2025年からのメッセージを未来に発信していく、中継地点として「Message from 2025」がなんらかの意味を持つはずです。そして、それが刻まれるのは我々が愛するインターネットだと信じています(または信じていません)。
■終章
最後の曲ができてアルバムが完成する前日、1999年にスタートした「ドコモ絵文字」が終了するというニュースが入ってきました。1999年は私がインターネットを始めた年で「1999年タワー」としても記録していました。あの年に始まったドコモ絵文字が、インターネットの終焉を描いた「Message from 2025」の完成とほぼ同時に終了したのは偶然か必然か……。恐らく偶然なのですが、アルバムのジャケットには死んだ絵文字たちが墓標のように刻まれました。